不幸を感じるのは正常だ〜ACTという考え方

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不幸を感じるのは正常だ

前回紹介した幸福になりたければ幸福になろうとしてはいけない の骨子になっているACT(認知行動療法)の考え方について少し説明したい。なぜならこれは、多くの人が持つ幸福についての誤解をつまびらかにする、目から鱗の内容だと思うからだ。少なくとも僕にとってはそうだった。

大抵の人は幸福を目指して日々を生きている。今日より少しでも良い明日を実現すべく努力している。これは非常に自然だし、賛美されるべきことだ。だが、そのゴールはどこにあるのだろう?「いやあ、長年努力してきた甲斐があった、とうとう幸せになったよ。良かった良かった」。こういう人にはあまりない。もちろん一時的な満足というのはある。試験合格、就職、結婚、出世、昇進、節目節目での成功は訪れる。だが、それを過ぎると再び長く厳しいワインディングロードが現れる。そして人々は再び自分を叱咤しながら歩き出す。「何とか幸福にならなくちゃ」とつぶやきながら。

人生がこの繰り返しだとすると、安定的な幸福には永遠に辿り着けないことになる。それでも人々はそれを追いかけ回し、なぜ自分は幸福ではないのだろうと嘆く。さらには、幸福でないのは自分に何かが足りないからだとさえ考え始める。(だから多くの自己啓発セミナーが盛況になる)だがそのメカニズムを知れば、幸福でない真の理由はおのずと理解できる。人間の脳は、その持ち主に恒久的な幸福感、満足感を与えてくれないようにできている。それはデフォルトで、不満を感じるよう設定されているのだ。ACTは、この現実を冷徹にもこう原則化している。「健康な人間の正常な思考プロセスは、私たちを精神的苦痛に導く」。

今のあなたが不満感、不幸感を拭えずにいるなら、あなたはまったく正常なのだ。そして、不満があるからこそ人間は努力し、物を発明し、現在の文明を作り上げたとも言える。飢えるかもしれないという不安が食料を貯蔵させ、猛獣に襲われる恐怖が強固な家をつくらせ、真冬の寒さを恐れる心が薪の備蓄をさせてくれた。いつも幸福感に満たされたノーテンキな原始人は、腹一杯ごちそうを食べた後一杯やって眠りこけ、オオカミの餌になってしまったに違いない。(きっと僕のご先祖だろう)

では我々は、日々の不満・不幸は進歩の原動力なのだと自分に言い聞かせ、諦めとともに生きていくしかないのか?それではあまりに救いがない。ACTはここで新しい考え方を提示する。まず幸福には二つの種類がある。一つは単純に”良い気分”、嬉しい、楽しい、気持ちいい等の快感を得ることだ。だがこれを追求するのは限界がある。ある程度年齢を重ねた人なら分かると思うが、どんな満足も時間と共に消えていくものだ。それはあくまで一過性の体験で、追いかけ回すと大抵ロクな結果にならない。確実に手に入れる方法は薬物やアルコールなどだが、その行き着く先は誰もがご存知の通りだ。どうやら幸福とは、自分の意志でコントロールできるものではないらしい。

いつまでも続く幸福

ACTは、快感、満足感とは別の幸福を提示する。それは「人生に苦痛が伴うという事実を当然のこととして受け入れた上で、豊かで満ち足りた人生を目指して生きる」というものだ。もう少し噛み砕いて説明すると、不満、不安、苦痛は不可避なものだが、それに対する反応を最小限に抑え、自分にとって有意義な行動をする、ということだ。具体的には、日常で好ましくない感情(怒り、悲しみ、不安など)が起こった場合、それと戦わずにやり過ごし、現在している行動に意識を完全集中する。これができると、日々現れるネガティブ感情に振り回されることは少なくなり、より安定的な精神状態がもたらされる。つまり、長い目でみて”幸福”になれるというわけだ。少し乱暴かもしれないが、ACTとは、感情を抑えつけたり追い払おうとせず(それは不可能なことだ)、それをやり過ごして今この瞬間を生きる術、と言える。

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